tt021 旅先で絵葉書を書く

海外旅行の目的はいろいろあるだろうが、絵葉書を書くために海外旅行に出るなんて人はまずいないだろうね。
世界旅行者先生様を除いたらね(笑)。

世界旅行者は海外から絵葉書を書いて送るために旅に出ているのかもしれない。
と思ったりしている。

僕の最初の世界一周旅行の時、新しいところへ行く度に、僕は実家へ絵葉書を送っていた。
これは、もちろん実家に消息を知らせるという意味もあった。
また僕を通して世界旅行を体験して欲しかったからだよ。
それと同時に、海外からの絵葉書は、自分の記録としても役に立つと思っていた。

というのは、世界旅行者の2年8ヶ月連続の最初の世界一周旅行の時、カメラを持っていなかったから。
正直言うと、最初は一応持ってはいたんだけれど、すぐに送り返してしまったんだ。

でも、カメラなんか持たなくてよかったとは思うよ。
だって、2年8ヶ月も写真を取っていたら、その現像料金だけだってものすごい金がかかってただろうしね。
また、自分の目で見て記憶にとどめた方がよかったしね。
写真を取る換わりに、面白そうなところへ行ったらそこから絵葉書を送っていたことが、現在もいい記録になって残っている。

最初の世界一周のあとは、写真も取るようになったが、自分に対して絵葉書を送っている。
また、自分に絵葉書を送るついでに(といっては失礼だが)、友人知人へも海外から絵葉書を送る。
これは、けっこう楽しいよね。
だって、書く内容がなんにもなくても、また中身がないからこそ純粋に、絵葉書自体の意味が重くなるから。
誰だって経験があると思うけれども、友達から突然絵葉書が届いて、それが海外からだとメチャうれしくないかな
キレイな写真があって、変わった切手が貼ってあるハガキが突然理由もなく着くなんて、うれしいよね。
つまり、海外から絵葉書を出すという行為は、純粋に「人を喜ばせる」ためなんだよ。
ところが現代社会では「純粋に人を喜ばせる」のは、実際はなかなか難しい。
人を喜ばせようとするとそこに他のいろんな要素が絡まってくる。
つまり、見返りを期待しているのではないかと、疑われたりするよね。
例えばなにかの理由でちょっと人におごったとする。
そうすると、相手が女性の場合だと「私とエッチしたいのかしら…」と思われたりする。

また、例えば年賀状を送る行為は、「僕が年賀状を出したのだから、あなたも送るべきです」と催促している感じがないかな。
僕はそういう気がするんだ。

ところが海外から送る絵葉書は、単純明快に、見返りをなにも期待していない。
海外に出た時、ただ送りたかったから送るわけだ。
差出人の住所も書かないので「○○にて」だけなのがスッキリしている。
純粋に、そこで自己完結しているよね。

これが僕は好きなんだよ。

2004年の年賀状で僕は大失敗をしてしまっていた。
というのは、2004年の年末年始にいつものようにLAへ行かなかったので、日本から年賀状を出すことになった。
年賀状というものは、ほとんどどーでもいい内容なので、僕はわざと郵便局においてある無料のスタンプをポンポン押して、ものすごく安っぽいものにしたんだ。

コンピューターを使ったり、写真を焼き付けたりするのではなくて、ものすごくシンプルなものにしてみた。
これがとても格好いいとおもったんだ。

だが、実際に見ると、やはり安っぽくて、メッセージが伝わらないものだった。
これがものすごく恥ずかしかったんだ。
こんな中途半端なものならば、年賀状なんか送らなければよかった…。
というわけで、2004年中に、そのリベンジとして、ちょっと変わった場所から友人知人に絵葉書を送らないといけない義務を負っていたんだ。

それには、カリブ海の端にあるT&Tから送る絵葉書というのは、なかなかステキだよね。
つまり、僕がT&Tに行った理由の一つは「T&Tから絵葉書を送るため」だったんだよ。

【写真】ビーチのテーブルにこれから書く絵葉書を並べている。